
2015-09-17
趣味が人生に深みをもたらす
弾ける青空に肌を射すような太陽。
力尽きるほど波と戯れ、未だ火照る身体は季節の終わりなど程遠く感じさせる。
物静かな宿の上階から眺める夕陽に身体を休め、目を閉じゆっくりと流れる時間に心も癒す。
海の果て、青い宝石のように光り輝く水面が琥珀色に染まる頃、水平線に沿って海鳥のように横切る落下傘。
夕陽と相容れる描写はまるで名画のように心を打つ。
高揚する気持ちを抑えきれず、身を乗り出し思わず両手を振り続けた・・・
四季を通して私が一番好きな季節が夏。
今夏、暇を見つけては少年のように大空に想いを馳せ、パラグライダーに勤しみました。
パラグライダーは特殊な技術がいるのではないかと思われる方が多いようです。
しかし、実際には特殊な技術など必要なく指導者のもと、ルールと判断力さえ身に付ければ誰でもできる安全なスポーツです。
上空50mから見下ろす大地、鳥のように自由に空を満喫していると、時に不思議な現象を体験できます。
砂浜から飛び立ち、海岸線に沿って飛んでいると海水浴を楽しんでいる人々から手を振られるのです。
親子、友達同士、水上スキーに乗る若者がその場で一斉にこちらに目を向けます。
なかには、興奮した様子で手を振りながら追いかけてくる子供達もいます。
私はそれに応えるように手を振り返し、まるで有名人になったかのような優越感に浸れました。
人生の中で、面識のない人から親しみを持って手を振られる経験があるでしょうか?
手を振られた事による私の喜びは、今までにあまり経験したことのない感情です。
「自由に空を翔ける憧れ」
心の奥底にある願望が、間近に現実に飛んでいる人を見て、「私も飛びたい」「こっちを見て」とお互いに共鳴した結果。その動作が、手を振る人の心情なのでしょうか?
パラグライダーに限らず、趣味には人と人との繋がりにより更にその枠を広げ趣味を超えた面白さが出てきます。
只一人で飛んでいても直ぐに飽きてしまいますが、手を振る人がいて、見てくれている人がいて、失敗を指摘してくれる人がいて、努力を汲んでくれる人がいて、一緒に楽しさを共有してくれる人がいる。
そう考えると、やはり人間というのは一人では駄目なのだと気付きます。
私の同級生で野菜づくりを趣味とする人がいます。
以前、私が同窓会に参加した時の事。
その同級生と再会し会話をしていると、その同級生は野菜の話しかしません、というより会話になりませんでした。
聞けば、日頃から友達もおらず、行く場所もなく、やる事もなく畑仕事を始めたら野菜づくりが趣味になったそうです。
野菜は主人の足跡をみながら育ち、実をつける。野菜と語り合えばちゃんと答えを出してくれるという。
決して畑仕事を否定するわけではありませんが、趣味として考えるならば畑仕事は少し世界が違うと思います。
釣りが趣味の人は釣りがしたいと思った人。
スキーが趣味の人はスキーがしたいと思った人。
パラグライダーが趣味の人は空が飛びたいと思った人。
しかし、畑仕事がしたいと思って畑が趣味になる人はそうそういません。
結果的に畑仕事をして野菜作りが楽しくなり趣味となるのでしょう。
65歳で野菜と語り合うのはまだ早いと思うのです。
人生において趣味とは、その人の生き様に何倍もの深みを与えてくれます。
趣味を始める事は、新たな出会いや楽しみが出来る良い機会なのではないでしょうか。
逆に趣味の無い人は、人間の器まで小さくなるように感じます。
季節は秋・・・
季節を待てば長く、過ぎ去ると早い。
人生とよく似ています。
目標を掲げ近づこうと努力していると長く感じ、目標を達成すればそれまでの過程があっという間の出来事のように感じます。
風の香りに哀愁が伴い始めた今日この頃。
いつもの河口より今日も大空を翔けまわります。
閑散とした砂浜を眺め、孤独を楽しむのもまた一興なのだと言い聞かす。
過ぎ去りしあの日を振り返りながら・・・・