2020-06-30
齷齪せずとも大洋は、昔も今も同じうねり
「備えあれば憂いなし」
遥か古代より唱えられてきた先人の教えは、常にそうでありたいと思う反面、災難に直面する度に思い出される言葉なのかもしれません。
連日の新型コロナウイルス感染報道は収まる気配もなく、サービス業を中心に被害の実態が浮き彫りになり、改めて会社経営において危機管理の重要性をまざまざと感じさせられました。
企業をはじめ、あらゆる団体・組織にとって「危機管理」と「リスク管理」は最たる課題の一つなのではないでしょうか。
「危機」と「リスク」は同じ意味に聞こえますが、実は違います。
「危機」とは危険や異常事態が現実に発生してしまっている事。
一方、「リスク」とは危険や異常事態が近い将来発生するのではないかと想定する事です。
そして、今回のような非常に求められているのは「トップのあり方」です。
「想定外」だ、とうろたえ指をくわえて事態の収束を待つばかりでは、会社は潰れてしまいますし、国や自治体の協力要請にも応じず、非常時前と同じ経営をしていてはたちまち世間から非難され、信用を失墜する事態になりかねません。
しかし、コロナ禍を含め、いつ起こるともわからない非常時においても必ず経営難を脱する打開策があるはずです。
こんな話を思い出しました。
戦国武将徳川家康は265年という長い時代を築くことができたのに、織田信長や豊臣秀吉はそれができなかった。
この差は何なのでしょうか。
家康は幼少期から今川家家臣である禅僧・太原雪斎に勉学指導を受け、そこで「危機管理」「リスク管理」を学び、中国の古典から素養と実践の基礎を修得したとされています。
子々孫々にもその教えが伝わり、後にそれが武家諸法度の制定や参勤交代などにより活かされ、徳川家は何百年と続くのです。
長い歴史を築けなかった信長や秀吉は、「危機管理」「リスク管理」が欠けていたから。
それは、歴史を教えてくれる「師」と呼べる指導者に恵まれなかったことが原因とされています。
また、経営の神様・松下電器グループの創業者松下幸之助さんの不況を乗り切った逸話は有名です。
昭和4年。
当時の内閣が緊縮政策をとったことにより経済界は委縮、追い打ちをかけるように世界恐慌が訪れ産業界は大打撃、株価は暴落し企業の倒産が相次ぎました。
電機業界でも多くのメーカーが倒産し、松下電器も売上が半分以下になりたちまち倉庫に入りきれないほどの在庫を抱えます。
創業以来の深刻な事態に直面した松下さんは、その時病床にいました。
松下電器経営陣は病床へ伏せる松下社長のもとへ訪れ、こう提案します。
「従業員を減らすしかないです」と。
しかし、松下さんは散々悩んだ末打開策として具体的な方法を提示します。
「生産を直ちに半減し、工場は半日勤務、しかし従業員の給料は全額を支給しなさい。その代わり休日を返上し、在庫品の販売に全力をあげてもらいたい」と。
付け加えてこうも言ったそうです。
「私は、将来松下電器をさらに大きくしようと思っている。会社の都合で人を採用したり、解雇したりでは働く者も不安を覚えるだろう。だから一人も解雇してはならない、大を成そうとする松下なのだからみんなの力で立て直そう。」
この決断に従業員は奮起し、社内を取り巻いていた暗雲が吹き飛び、見事2ヵ月後には倉庫に入りきれないほどの在庫はなくなりました。
夢ハウスも原点に立ち返りました。
足しげく通う事26回、ようやく第一号のお客様が誕生した夢ハウスの歴史。
今までのような不特定多数のお客様を呼び込む見学会を一時中断し、一人一人が足で稼ぐ営業へシフトチェンジ。
一人1日200件のポスティングを1週間。1,000通を超えるポスティングに従業員は、自らの足でようやく一人のお客様にめぐりあえる感動に気付かされたようです。
私が従業員を教育する上で繰り返し話してきた「感謝と感動」。
それが足しげく額に汗し、難儀をしてようやくめぐりあえたお客様によってその意味が理解できたようです。
「感謝」「感動」の気持ちでお客様と接すれば、必ずお客様も「あなたに頼んで本当に良かった」とそれに応えてくださる、それが夢ハウスの営業の本質。
時代がどんなに移ろうとも、人のやる事の根底は同じ。
非常時を乗り切れるがどうかは、どれだけ多くの先人の歴史を学んでいるかが別れ目になるでしょう。
齷齪(あくせく)せずとも大洋は、昔も今も同じうねり。
すぐそばにある難事、けれども目先にとらわれず先を見据えた思い・知識・行動があれば、難事は難事でなくなります。
「肉を切らせて骨を断つ」「死中に活あり」とあるようなトップの決断。
犠牲や負担を覚悟した上でのスピーディな取捨選択をするトップの判断。
それが明日の会社の未来、ひいては多くの従業員、その家族の未来を左右するのではないでしょうか。
なにより、今までお世話になったお客様をお守りできなくなることだけは、決してあってはならないのです。