
2014-04-15
戯
自宅から目的地「内の倉」(治水ダム)までは往復で約40㎞、日々の天気予報を確認し、早朝天気の良い日は自転車を走らせる事が習慣となっています。
いつもと同じ風景であり、いつもと違う情景がここにはあります。
新緑鮮やかな春の到来。
力強く芽吹く木々は命の隆盛を感じさせ、生命の尊さを学ばせてくれます。
陽の光溢れる程の木漏れ日をくぐり抜け、軽快にペダルを踏み込めば、爽やかな風が頬に優しく伝わります。
丁度息が上がる頃、呼吸を整え視線を下ろせば、湖の水面が宝石のように眩しく煌きます。
私を囲む森から奏でる鳥たちのさえずりは、大自然のオーケストラ。回を重ねると今日のさえずりは昨日とまた少し違う曲に聴こえてくるものです。
還暦を過ぎ、健康管理や体力の維持を目的として始めた運動も、人生の終焉を意識しはじめた今では、若い頃とまた違った感覚で自然と戯れる愛しさ、楽しさを感じます。
皆さんもこんな体験はないでしょうか?
目を瞑れば楽しかった思い出が浮かんでくる・・・
私は未だに大切な思い出として今も浮かぶのが20年前の鮎釣りの出来事です。
一人勇み、誰もここでは竿を出していないだろうという場所で釣りを楽しんでいた時の事、竿を出した途端に竿がしなり、あっけなく釣れてしまいました。
その日は入れ掛かり、半日で20匹ほど釣れた思い出が今も鮮明に甦ります。
このように目を瞑れば思い出が映像としてうつる現象。
これには法則があるようです。
アインシュタインの「相対性理論」。
難解なように思われるこの理論、一言でまとめれば「時間とは一定ではなく、変化する」という事だそうです。
わかりやすい例えでは、「愛する異性と共に過ごす楽しい時間は同じ一日でもあっという間に過ぎてしまう。」
人が皆平等に与えられた時間でも、時間を超えるような感覚、個人差で長短が働く理論は、物事にのめり込み、自身が「悦」の領域に入るとこのような現象が起こるのです。
あの時私が感じた鮎釣りの半日、およそ4~5時間は私の体感で数十分のような感覚でした。
逆に楽しい思い出でなのですが大切な思い出として映像に浮かんでこない事もあります。
私でいえば、その一つとしてゴルフを挙げます。
人と戯れ、体を動かすのは非常に楽しい時間です、しかしいかんせん私のプレー自体がよろしくありません。
プレー後には必ず、「あの時もっと上手に打てていれば」と後悔の連続です。
ただシンプルに自然と戯れる事とは違う、「後味の悪さ」が残る事が原因のようです。
これから先、どれくらいの思い出をつくる事ができるでしょう?
何年先になるかはわかりませんが、将来私にも必ず体の自由がきかなくなり、床に伏せる日がやってきます。
そんな日が訪れた時、今見ている情景や過去に感動した自然、そんな想い出が浮かべられるような行動を心掛け、一日一日を大切にしています。
ですから明日、天気が晴れとわかれば何をしようかと戸惑う程ワクワクし、心が高揚してしまうのです。